2017年8月22日 (火)

今日はシーは最高だったし、はクリーンナ

今日はシーは最高だったし、はクリーンナップ三連発サヨナラという劇的な勝ち方したし、最高すぎかて

2017年8月21日 (月)

むしむし

こんにちは

ず〜〜〜〜〜〜〜っと

ず〜〜〜〜〜〜〜っと

お日様らしいお日様に、お会いしておりません。

曇り、雨その連続

洗濯物は乾かないし、あちこちがじめじめしているし

スッキリ晴れるを所望

でね、

なんだかね、

今朝起きたら、上半身筋肉痛っぽいんです。

あれ?私、何かしましたっけ??

覚えがないんですけど

もしかして、一週間前に何かしたとか?

この筋肉痛がいつのものだかわからない年齢になりました()

老眼は進むし、困ったものです。

え??

いくつ?って??

永遠の25歳です

さ〜て、今日の曲です。

AngelaAkiさん

心の戦士

聴いてね

2017年8月20日 (日)

あのときのこと

少し昔の話を書きたいと思います。
本来はここに書いて良いことではなくて、
一応他人の目を気にしてを書いていた部分はあるので

でも今は頭がアホでになっているだろうから、
あたまだいじょうぶじゃない女がなんかダラダラ書いてるぞ、と思って、読むなら読んで下さい。

直接的な言葉は書かないけど、
察しても、文字にしないで下さい。
とか、母とか長姉とか、当事者とか、彼しか知らない話。

あとで消すかもしれない。

私はどうしても、自分できちんと決めたって思って進まないと、後で迷ったり後悔したりずっと引きずってしまうらしい。

私の人生はすでに壊れていて、まだ壊れ続けていくのだろうけど、
どうしても自分で決めきれなかったのに実行してしまい、崩壊させる切欠を作ったことが1つだけある。

昨年3月に受けた手術のことだ。

欲しいという意思を確認した上で、
私はそれを受け入れたのだが、
あの男は責任取らなきゃなと言っていた数日後に覆した。

俺をだましやがって、みたいなことを、言われて、目の前が真っ暗になった。
ほどなくしてその言葉について謝罪されたが
私は泣きながら懇願した。

人殺しになりたくない。
お願いだからやめてほしい。
無理だなんて言わないで。
1人でなんとかするから、許して。殺さないで。
すでに吐き気が始まっていて、
食事は思うように摂れなくなっていた。
フルーツとか、かまぼことか、そういうものを食べていた記憶がある。
でも私は嬉しかった。

離婚を経験して、
離婚自体は自分できちんと考えて、決めて、決めてからは迷わず行動に移したので、今に至っても後悔はない
自信がごっそりなくなって、
生きる張り合いがなくなって、
どうすれば目的が見つかるかなって、ずっと迷走していたから。

わかったとき、まず思ったのが、
ああ、私はもう独りじゃないんだ。
何をしてでも生きていける。

って、思った。

結局、私の訴えは受け入れられずに、泣きながら母に電話した。
味方になってほしかった。

母は勿論私の気持ちを察して色な言葉をかけてくれたのだが、
返ってきた答えは、
あなたが苦労するだけだから、諦めなさい
だった。

心配かけてごめんね、と、伝えて、電話を切った。

深夜3時過ぎだったと思う。
トイレにへたり込んで、誰にも聞こえないように泣いた。

この事を知る数少ない身近な人は、皆、
私の気持ちを慮りながらも、
諦めたほうがいい、という結論だった。

わかっている。
仕方がないことくらい。
皆がそう言うのは、わかる。

でも、そうではない。
そうではないのよ。

私は悪い。あの男も悪い。
でも、他に悪いものなんて何1つ無い。

大人の都合で芽を摘み取るという事実が、
あまりに重すぎて、
そんな勝手で卑怯な真似をしたら、私は。

私は、2度と、この経験をする資格はないだろう。

寿命が尽きるまで、
このことを隠し続けて、何もないフリをして、
あとどれだけ生きていけば良いのかと、右も左も前も後ろも絶望が見えた。

自分が手術を拒めば拒むほど、
自分の身体に負担がかかって、
全て自分に跳ね返ってくる、というジレンマにも直面した。
追い込まれた私は、言われた通りにする、
病院に行って、適当に理由をつけて、
しぶる医師を説得して、
書類をもらうしかなかった。
最後までしぶった医師院長は、
一番に優先されるべきは、あなたの気持ちなんですよ
と言ってくれた。

他人である医師が一番欲しい言葉をくれたけれど、
私は、
いいんです。決めたことなので、手続きをします
と言った。

誰か今すぐ私の首を絞めてくれ、と思った。

当日の朝、あの男に来てもらって、2人で病院に行った。

手術前の薬がじわじわ効いてきたら、
身体が更にだるくなって、鈍痛がしんどくて、
病院までの道中でも訴えたけれど、最後に何度も、

やっぱりやめたいと言った。

家に帰りたい。
全部中止にして、
10月までなんとか生きて、
入れ替わりで私が人生終えるっていうのはどうだろうって、めちゃくちゃなことを考えたりした。

あの男は
仕方ないよ
次、また、できるよ

とか、言ってたと思う。

勿論、次など無いことは知っていた。

でも、そうは言えなくて、私はただ、
次じゃなくて、今じゃなきゃダメなのって、言ってたと思う。

全身麻酔をするのは、生まれて初めてで、
手術室に入るのも初めてで、
なんでこんなとてつもない状況で、初めてなんだ、とか、考えてた。

麻酔は少し怖かったけれど、
もし医療ミスでも起きて、目が覚めなくなるなら、
それはもう願ったり叶ったりだから、
2度と目が覚めませんようにって祈った。
数字を反芻するように言われて、
13とか14くらいまで答えたところで、記憶が途切れた。
終わった直後に一瞬意識が戻って、
ベッドに戻されたおぼろげな記憶とかもあるけど、
抗えない眠気が暫く続いた。

時意識が戻っては、朦朧としながら、男に、
もう2度と誰にもこんな思いをさせないで欲しいとか
ちゃんと、してねとか
色言っていたと思う。きちんと言葉が聞き取れたかはわからない

男は何度もごめんなと言っていた。

手を握られていたと思うけれど、感覚が無くて、
それからしばらく何時間か、私は眠っていたらしい。

歩けますかと言われて、受付まで歩いたら、
貧血のような症状がでて、受付のソファに横になって、タクシーを呼んでもらった。

自分で選んだクリニックだったのだけど、
医師も助手さんも受付の人も、みんな優しかった。

受付の人なのかわからないが、
職員のおばさんが心配してくれて、
タクシーが来るまでずっと、私の手を握って膝掛をかけてくれて、
隣で背中をさすってくれていた。

自宅では前日から来てもらっていた母が待っていた。
男は何度も謝って、早に帰っていった。

母が努めて明るく励ましてくれて、
私はほとんど横になったまま、その日を終えた。

もう吐き気はなかったから、母の作ってくれたご飯を、
少しずつ、食べたいタイミングで作ってもらい、作り置きをしてもらったりと、わがままを聞いてもらった。

母と2人だったおかげで1人じゃなかったから
ぼろぼろ泣いたりすることなく、
食べて、眠って、少しだけドラクエをして、たまにコンビニまで散歩して、数日を過ごした。

4、5日経って、私は母に
もう、札幌に帰っていいよ。ありがとうねと言った。

週末が迫っていた。
土曜日には楽団の子の結婚式に参列するため、
日帰りで大阪まで行かなくてはならない。

母に留守番させるのは申し訳なく、
横になってばかりで、少し散歩するだけで疲れてしまうくらい体力が落ちていたから、
また1人の生活に戻らなくてはならないと思った。

全然いいんだよと言う母に、交通費を渡して、
大丈夫だよ、急に呼んでごめんねと伝え、母に帰ってもらうことにした。

最寄り駅まで見送ろうとしたけれど、
1人で帰れるよ、身体が大事なのだから家にいなさいと言われて、玄関で母を見送った。

男は暫く心配してか、体調を気遣う連絡をよこしていた。
大丈夫だよと伝えていたけれど、
もう、何もなかった頃には戻れないのだとわかっていた。

気持ちはいつまでも切り替えられなかった。
自分のつらさを、男がまったく感じられないのかと思うと、憎らしさが生まれた。

恨み言もいった。

もう済んだことは取り返せない
自分で決めたことだろう
そんな言葉が返ってきて、余計に自分がダメージを受けた。

行き場のない感情が消えることなく生まれてきて、
Twitterとかで、この男がどんなに卑劣なのか、ぶちまけてしまいたい衝動に苛まれた。

共通のフォロワーと男の会話が見えると、
またドス黒い感情が沸いて、早に非表示にした。

ブロックしてしまえば早かっただろうが、
全く繋がりがなくなって、男が更にあっけらかんと、何事もなかったように、楽しそうに過ごしていくのかと思うと、それもできなかった。

私はただ、ぶちまけずに、自分の尊厳を保つことしかできなかった。
いま思うのは、少しの羨ましさ。

何もないフリをして、切り替えて、楽しく過ごしていくスキルをあの男は持っている。
それは純粋に羨ましさをおぼえる。

生きていくために必要なスキルなのだろうから、
それを持ち合わせているということは、大事なことなのだろう。
長く書きすぎた。
続きは次の記事に。

2017年8月19日 (土)

気が付くと金曜

気が付いたら金曜になっていました。
あまり完治していないことにも気づいたんですが、
喉、というか食道の熱い痛みは解消してました。
とはいえ、朝は何だか食欲がイマイチだったので
パン屋でパン買って野菜ジュースと流し込むだけの朝食。
前日の日記を下書きしていたら始業時間になっていたので
朝の時間が最近はあっという間に過ぎているのを感じます。
で、今日はあまり頭を使わなくて良い作業っぽいタスクを中心に、
なるべく手とコンピューターを動かして仕事してる感を
味わうことにしました。
進捗こそあれど、単価分の仕事になっているのか
自問自答したくなりますね。
そろそろ引退が近づいてる気がする...
昼休みに日記投稿後、相変わらず食欲イマイチなので
あまり入らないパスタ屋さんで昼食。
パスタ大盛りにしてて、食欲イマイチとは?ってなってました。
食後のコーヒーを持て余して苦しむ羽目になったのは
ここだけの話です。
午後も基本的には黙々と作業を進めて、
たまに咳き込む体調に負けずに乗り切りました。
夜は定期的にある、同僚さんとの呑み。
喉に優しそうな酒をチョイスするようにして、
翌日に体調がむしろ回復していることを狙います。
結果、りんご酢サワー的なやつと、何たらレモンサワー的なのを
中心に攻めて、食事は程々に。
隣席のおっさんがタバコすごいペースで吸ってたのは把握したけど、
呑み屋に入る時点で覚悟していることなので
ラーメン屋とかで座れるほどはイラっとこないのでした。
喉へのダメージは明日に来そうな気もする。
ヘロヘロな状態で帰宅路につきまして、
辛うじて歯磨きと日記を片づけた次第です。
もういつ寝落ちしてもおかしくない状態。
明日はAqoursのライブだし、この辺で一日を終えようと思います。
今週もお疲れ様でした!

2017年8月17日 (木)

お母さん

ラジアンリミテッドにて

1ヶ月くらい前の『ラジアンリミテッド』で二十歳くらいの看護学生のリスナーさんが、自転車で通学途中に車輪に靴を引っ掛けたらどうなるかと思い引っ掛けたら1回転してこけたってゆう話をしていたのを思い出した。
その時の感想を聞かれたその子は一言
『ショックだった』
と。
いやいや大体どうなるかは、20年も生きてきたらわかりそうなもんだが(笑)
だいたいガキの頃に1回は(特に男)するもんだが危ないから辞めよう
周りに人はいなかったから恥ずかしくはなかったそうだか、血まみれのまま登校したらしい。
人を助けるハズの看護学生が、朝っぱらから血まみれで通学する姿を想像したら面白かったわ(笑)
■自転車の「ハブ毛」 消えゆく転機となったのは…
(朝日新聞デジタル - 08月16日 11:37)

2017年8月16日 (水)

ちょっとだけイラっとした話し

ついさっきお巡りさんが巡回で家に来たんだけど帰り際に
「お休みのところありがとうございました」
て言って帰って行ったけど仕事から帰ってきた所だよ。

雨の休日は

時間が過ぎず考え事してしまうだけ(_)
気分を変えて久々に豆からコーヒー入れて見ましたぁ(^-^)v

あんかけスパゲッティ風【ランチパック】

あんかけスパゲッティ風【ランチパック】
 
なんかずっと前に食べたような…と思って調べたら1年前だった。
以前は「あんかけスパゲティ風」…って表記ゆれのレベルだな。
味は…麺の存在感ゼロ、しょっぱくてちょっと辛い…って、何も変わってないような(^^;)
  オススメ度:★★☆☆☆
     −日記作成時に聞いていた曲−
     僕はここにいる / 山崎まさよし

2017年8月15日 (火)

アニ雑は権利にかからないような感じでゆ

アニ雑は権利にかからないような感じでゆるーくやってますからねぇパジャマやホットパンツから覗く生足は危険度が高いですが

«静岡県菊川市の家族挙式はここで決まり